足が遅いブログ

足が遅いです

曖昧な記憶

深夜から早朝の記憶はすべて曖昧だ。そこには現実ではなく、曖昧さと、松屋だけがある。

 

まるで準備していたシナリオをなぞるかのような一日。シナリオがないことが美しいとされるけれど、シナリオがあった方が間違いはないことに最近は気づいてしまった。

 

エモい日を一緒に作ろうね、みたいなさ、そんなことをするくらいなら、たぶん部屋で夢を見ている方がよかった。それなりに楽しんだ自分がいやになった。