足が遅いブログ

足が遅いです

チャーハンたべたい

趣味が合うというだけでときめいていた頃は単純でよかった。でも、もうそれだけじゃ簡単にときめかなくなってしまった。ガラスの靴はもう入らない。そもそもわたしは背が高く足がデカいのでガラスの靴は入らないが。ガラスの靴どころか、ちっちゃい頃に幼馴染2人が貸し借りしていたローラースケーターすらわたしには入らなかったので、当時からこの世のスケールは自分には小さすぎると思っていた。ローラースケーターやりてー

 

ところで実はわたしが言っていたのはローラースケーターではなくローラースケートという名称だった。フフフ、諸君は気づけたかな?わたしは途中でン?となって調べました。

 

しかし趣味をきっかけにすごく仲良くなって、ふつうに趣味以外にも気が合う友人に発展していったこともけっこうあって、だから趣味はやっぱり、いいきっかけなんだなとは思う。あと、趣味以外の話もできるのが本当の友人みたいな説よく聞くけど、趣味の話以外あまりしない、みたいな関係性もべつにいいじゃんと思っている。最近のわたしはべつにいいじゃんと思うことにハマっている。なんか、世間の風潮を知ってることとか、批判的な観点で見ることももちろん大事だけど、自分の目で見て、べつにいいじゃんと思える方が、自分の世界観できてっていいじゃん。と思ったからです。

 

わたしは高校生の頃『君の名は。』を観ていたく感動して、その後3回くらい映画館に観に行っていたという時期がある。そしてその頃、ちょっとした失恋みたいなことがあった。しかし当時のわたしは、心の傷の癒し方をよく知らなかったので、ただただ辛くてどうしたらいいかわからない日々を過ごしていた。「ちょっとした失恋みたいなこと」ってなんなんだ

 

それとは関係なく、その時にあまりにハマっていたものだからひたすらYouTubeにアップされている『君の名は。』で使われていたRADWIMPSの曲のピアノバージョンを流していたのだが、そうするとなんだか失恋で辛くて荒れた心が落ち着いてくるということになんとなく気づき、ずっとそれを流していた。

 

大学1年生になって、『天気の子』を観た。『君の名は。』みたいにハマれるかな〜と思って、ワクワクして観たけど、そしたら、なんか、なんか違う、なんかキモ、という感想になった。

そしてその時は、なんかキモ、を友人や仲良くなりたい人と共有することでなにか連帯感やら優越感やらを感じていた。ウチらはこの感覚持ってるよね、センスあるよね、みたいな。

 

で、今思い返してみると、これがすごく恥ずかしい。この感想は、事前にTwitterで流れてきていた評判がなんとなく頭に入っていたことや、観た後に読んだ他の人の感想に多分に影響されているのだ。おそらく、Twitterで当時好きだった人がわりとなんかキモ、派だったのだろう。それを自分の感想にトレースしていただけだったのだ。

 

まあそれを理解した上でも今のわたしの『天気の子』評も変わらないんだけど。でもさ、なんていうか、今はそういう風に思うようになったってワケ。

 

素直がいちばんって、何度でも思うね。でも、何度でも間違うね。

 

それでも!

 

^_−☆